【教室便り】桜井教室:小学生
小学生 中学生
夏休みが終わりました!
みなさん、こんにちは!
いよいよ楽しい学校が始まりましたね!
楽しい学校が始まりますね!
休みボケせずに頑張っていきましょう!
みなさん、この夏休みはいかがでしたか?
やりたいことは出来ましたか?
やらねばならないことは出来ましたか?
この長期間の休みは人によって過ごし方は様々でしたね。
完全燃焼できた人もいれば、不完全燃焼の人もいるのでは?
目標と計画を踏まえて行動した人とそうでない人の違いが結果的に上の違いを生むのです。
完全燃焼できた人は2学期以降も自分の身につけたG-PDCAサイクルをまわしていき、不完全燃焼だった人は2学期、先生と一緒に目標と計画を立てて、G-PDCAサイクルを回していきましょう!
頑張ろーo(^▽^)o
さて、今回の偉人伝は江戸時代の初期に活躍した女性を紹介したいと思います。
江戸幕府を強固なものにすることに成功した徳川3代将軍、徳川家光の乳母(生みの母ではなく、当時身分の高い人々は実の母に育ててもらうのではなく、教養と中身がしっかりした女性に母代わりをしてもらい育ててもらっていたのです。赤ちゃんの時には授乳も実の母ではなくその女性にしてもらっていました。)で家光を徳川の歴史の中でも立派な将軍に育てあげたことが、今もなお後世の人々に高い評価を受けている女性...。
春日局(カスガノツボネ)さんについて話をしてみたいと思います__
彼女の人生は、表現するならば波瀾万丈の一言につきます。
もともと彼女は、明智光秀の重臣で一の家臣である斎藤利三の娘でした。
そう、1582年本能寺の変で織田信長を殺害した明智光秀の家臣の娘だったのです。
本能寺の変の後、山崎の戦いで明智光秀は豊臣秀吉に敗北してしまい、その騒動の際に父親は死んでしまいます。
主君に背いた裏切り者の一味というレッテルを貼られた春日局(当時の名前は、お福)は、子供の頃、苦労や中傷に耐えながらも、その後、下級武士のもとに嫁ぎ、子宝にも恵まれ貧しいながらも幸せな生活をしばらくは送っていました。
しかし、次第に生活は困窮していき夫との仲も不仲になっていったお福は、自分の取り巻く環境に再び不安を覚えどうにかしなければいけないと常々考えるようになりました。
自分の子ども達に自分のような不自由な思いをさせたくない...!
そういったタイミングの中である一つの転機が訪れます。
徳川に新しいお世継ぎが誕生する!
お世継ぎに対しての乳母役を募集するというお達しが全国に届いたのです。
お福は、乳母役を名乗り出ました。
将軍家のお抱えになれば、経済的にも不安が減り、子供達に不自由な思いをさせずにすむ、と考えたのです。
当時、新しい将軍候補の乳母役は人気が高くて、多くの女性が応募しました。
その中で、一人一人応募した女性達は幕府の面接を受けるのですが、お福は並み居る面接官達にこう言ったとされています。
「私は、本能寺で織田信長様を討った明智光秀の筆頭家臣、斎藤利三の娘です。」
先にも説明しましたが、当時明智光秀は主君を裏切る反逆者の代名詞であり、決して良いイメージはないのです。
にも関わらず、その名を面接時に使い、逆に面接官にインパクトを残すという奇策に打って出たのです。
面接官はびっくりしましたが、お福は生まれも育ちも良く、教養も備えているということで、名誉ある乳母役に抜擢されたのでした。
お福は何が何でもお世継ぎの乳母となりたいという必死な気持ちがあり、どうしたら自分が乳母役になれるのかを考えた結果、自分の未来を自分で掴みとったのです。
そこから幕府に召し抱えられ、子ども達にも不自由しない生活を送らせることに成功したのでした。
その結果、手にした江戸城での生活は、実の子供と会うことの出来ない徳川のお世継ぎのためだけに自分自身を捧げる毎日でした。
しかし、過去や現在の自分の状況や環境を呪うことなく、自分と実の子供達に何が必要なことかを必死に考えて、自分の選んだ道に決して後悔することなく突き進んだ人生。
そして、お世継ぎである徳川家光を立派な将軍に育てあげ、果たすべき勤めも十分にこなしたということで今でも彼女は名前を残すに至ったのです。
春日局さんの自分の手で未来を切り開く強さやお役目に対する責任感の強さを垣間見ることが出来ます。
KECゼミナールでは、自分の未来や進むべき道を早くから考えて、自分の手で切り拓く力を子供達に身につけてもらいたいと思い、毎日指導にあたっています。
春日局さんのように、生まれは最初身分の高い家柄でも、途中暮らしや生活が下に向くことがあるかもしれません。
しかし、強い意志を持って、自分の人生を上げていくような人物に育ってもらいたいと考えているのです。
強くなれ!桜井教室生!